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40 『オスタルジー』の殿堂
ここ数年、『グッバイ・レーニン!』や『善き人のためのソナタ』といった、東ベルリンを題材とした映画のヒットが記憶に新しい。壁が崩壊してからもうじき20年。旧東ベルリンに属するミッテ地区やプレンツラウアー・ベルク地区はすっかりお洒落エリアとして生まれ変わり、もはやどこに壁があったのかさえわからない状態の今、『オスタルジー』たる風潮がすっかり定着しているらしい。ドイツ語で「東」を意味する「オスト」と「ノスタルジー」を組み合わせたこの言葉、ズバリそのままの意味を持つ。

そんな中、数年前にオープンしたのがこの『DDR Museum』。DDR(Deutsche Demokratische Republik)とは、ドイツ民主共和国こと東ドイツのこと。すでに存在しないこの国の文化をインタラクティブに体験できる!という触れ込みで、ベルリンの名所に仲間入りした。まさにそのコンセプトこそ、『オスタルジー』なのである。所在地も、旧東ベルリンのシャンゼリゼ(?)こと、ウンター・デン・リンデン通りのすぐそば、シュプレー河岸の一等地だ。

決して広くはない施設だが、東ドイツの国民車トラバントや、そのキッチュさで最近日本でも人気のDDRデザイン雑貨など、ところ狭しと展示されている。アパートのリビングを再現したコーナーのテレビでは、当時のTV番組を見ることもできる。悪名高い秘密警察STASIに捧げられたコーナーもあるけれども、基本的には重い雰囲気がない内容だ。
館内には私のように「東」の社会を知らない観光客ばかりかと思いきや…なんともいえない表情で、真剣に展示に見入る地元出身らしき人の多いこと!ほろ苦いけど懐かしい…おじさんやおばさんのそんな思いに場内は包まれているかのようだった。

館内のショップでは、『グッバイ・レーニン!』で、壁崩壊を知らない母親のために主人公が血眼になって探したような東ドイツ産ピクルス瓶(中身入り・勿論レプリカ)まで販売しているので、毛色の変わったお土産としていいかもしれない。

DDR Museum
http://www.ddr-museum.de/
Karl-Liebknecht-Str. 1
10178 Berlin
Sバーン Hackescher Markt駅下車


[text: HONDA Mayu / 2008年5月15日]
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39 プラハでキュビスム建築めぐり
ドヴォルザーク、カフカ、ミュシャ…と、チェコが生んだ芸術家は、他の国とは一味違った雰囲気がある。この国の首都プラハにも、中毒性さえあるような不思議な魅力が満ち溢れているように思える。そんなこの街の独自性を象徴するもののひとつに、キュビスム建築がある。キュビスムといえば、20世紀初頭のパリで、ピカメ_やブラックによって生み出された新しい芸術様式。その波はヨーロッパ中に広がり、勿論チェコでも例外ではなかった。ただしここでは、キュビスム建築という他では見られなかったジャンルが発展したのである。建築家パヴェル・ヤナークPavel Janak(1892−1956)がその礎を築いた。しかしモダニズム建築からも、従来の建築様式からもかけ離れていたこのキュビスム建築は大いに批判され、第一次世界大戦が終わる頃にはすっかりすたれてしまった。よって最盛期は1911年から1917年とされている。

プラハ市内に点在するキュビスム建築を巡るのも、なかなか人気のプランのようである。旧市街Stare Mesto地区にある、チェコキュビスム博物館が入っている『黒い聖母の家Dum u cerne matky bozi』も、ヨセフ・ゴチャールJosef Gocarによる1912−1913年の作品。ここの売店で建築めぐりマップも販売されているので、まずは寄りたい。キュビスム様式インテリアを再現したカフェもあるので、こちらもお見逃しなく(ケーキも素朴で美味でした)。

キュビスム建築の有名どころの多くは、旧市街より少し南に行ったヴィシュフラートVisehrad地区にある。地下鉄B線Karlovo namesti駅で下車し、ヴルダヴァ(モルダウ)川沿いをぶらぶら歩きながら南下すれば着く。だんだん建物が奇妙(?)になってきて、異世界にトリップしてゆくようである。まず目に飛び込んでくるのが、一番有名なキュビスム建築といっても過言ではないコヴァジョヴィッチ邸。その庭や柵にまでキュビスム様式が取り入れられ、代普_作とも言われている。通りをはさんだ向かいにはクラッシック・アール・ヌーヴォー様式も取り入れたナ・リブシンツェ・ヴィラがあり、あたりをよくよく見渡せばキュビスム建築だらけなのである。

驚くのは、それらの建物には普通に住民がいるということ。よく考えればパリでもギマール建築が普通のアパルトマンだったりするので、ヨーロッパでは極々普通の現象なのだろうが。それでも、明らかに奇妙なキュビスム建築の窓に衛星放送のアンテナが立っていたり、洗濯物が干してあったりするのは、日本人としては少しうらやましいような、日常の中の芸術への無意識を感じてしまう。もしかしてそれは、これらの歴史的建造物は長らく続いた共産主義政権の支配からも生き延びることができた所以なのかもしれない。

写真
1) コヴァジョヴィッチ邸Kovarovic dum
1912-1913, ヨセフ・ホホルJosef Chochol作
所在地 : Libusina 3, Praha 2 Visehrad

2) 集合住宅 Cinzovni dum
1913-1914, ヨセフ・ホホルJosef Chochol作
所在地 : Neklanova 30, Praha 2 Visehrad


チェコキュビスム博物館MUZEUM CESKEHO KUBISMUのサイト
http://www.ngprague.cz/

[text: HONDA Mayu / 2007年11月15日]
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38 ハワイキ・ヌイ2007
南半球の冬も終わり、涼しく爽やかな空気からむうっと湿気を帯びた熱帯の気候に移り変わる10月。この季節は、ポリネシアでも大きなイベントのひとつ、ハワイキ・ヌイの大会が行われる。ピロッグでポリネシアの島々を渡るレース競技だ。ピロッグとはカヌーの一種でアウトリガーカヌーとも呼ばれ、脇に浮きがついているので、バランスがとれやすくなっている。もともとポリネシアでは航海カヌーや漁目的として利用され、現在は免許の必要もなく、ボートよりも値段が手ごろなので、人々の身近な生活の足として、またスポーツとしても人気である。

本大会では、およそ8メートルの長さの細長い舟に6人の競技者が乗り込み、短いオールで漕ぎながらその速さを競い合う。コースはタヒチ島から北におよそ200キロに位置するフアヒネ島を起点として、ライアテア、タハア、そしてゴールがここボラボラのおよそ130キロの海を3日間かけて渡るピロッグ・レースだ。フランスはもちろんハワイ、ニュージーランドなどからこの日のために参加者が集まってくる。エメラルドグリーンの美しい姿とは裏腹に、南太平洋の荒々しい潮の流れ、そして危険な波のうねりにピロッグ・コースとしては、世界で最も過酷なコースで知られている。

最終ゴール地点はボラボラ島の最南端マティラ岬である。岬から島を取り囲む珊瑚礁の壁までは遠浅になっていて、観光客にとってはサンセットのビューポイントとしても知られている。岬に沿って島唯一のパブリックビーチが広がっているので、普段は地元の若者たちが涼みにやってくるのどかなデートコースだが、大会最終日は足の踏み場もないほどに報道陣や見物客で埋め尽くされた。

イベントの少ないこの島にとって、年に一度のハワイキ・ヌイは大きなお祭りである。今年はこの日のために数ヶ月前から特別な準備が進められていた。それは岬周辺を中心とした道路工事である。一周32キロの島に走る道路はたった1本で、決して迷うことはないのだが、雨が降るたびに地盤が崩れてあちこちに穴ぼこができ、徐行運転の車が列をなす。タイヤがパンクしたり、車が故障したり、事故を起こしたり、と長年ボラボラの大きな問題になっていた。島を走る車の車種に4駆が多いのも納得で、バイクなんて走らせるのは、命知らずか免許を持たない若者だけだ。数ヶ月前に道路工事が始まったのはいいけれど、一向に進む気配もなく、いつ工事をしているのか気づかないほど、作業員の姿も専用のトラックも長い間見かけなかった。それが大会を目前に突然急ピッチの工事が進められた。それこそ土日も関係なく行われたお陰で大会前日までに黒光りした艶々のアスファルトが次々と登場した。いつもはガタガタと振動がお尻に直接あたるサファリ道もふかふかのクッションの上を走るような感覚だ。なんだかタイヤまで喜んでる気がする。なんたって「太平洋の真珠」と謳われるボラボラ島なんだから、報道陣の車とか、観光客の車とか、せめて港からゴール地点のマティラ岬くらいまでの主要道路わずか10キロ区間、ちょっとましなアスファルトの道路があってもいいじゃない、という感じでなんとも付け焼き刃な対応だけど、やればできるじゃん、タヒチアン。

さて、大会の結果だが、毎年連続で優勝してるタヒチ島のSHELLチームが今年も再度優勝した。ゴールしたチームの中には、途中海に投げ出されて選手が欠けたピロッグや、失神したまま到着した選手もいたりして、レースの過酷さを物語っていた。ハワイキ・ヌイが終わると、いよいよポリネシアの夏の到来だ。

写真
・ ゴール会場のマティラ岬
・ 観衆が見守る中、ラストスパートをかけるSHELLチーム


[text: ROMI / 2007年11月1日]
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37 ボラボラのおかまちゃん事情
ポリネシアの名物といえば、タヒチアンダンスにパレオ、黒真珠、ヴァニラなどがあるけれど、忘れちゃいけないのが、「レイレイ」だ。「レイレイ」とはタヒチ語でおかまのこと。男性が女性っぽく振る舞う、あの「おかま」である。実は、このおかまちゃん、至る所で出会う機会があって、ボラボラ島なんて、スーパーのレジ係から、ブティックの売り子、レストランのサービス係、そしてホテルのレセプションまでありとあらゆる場所でお目にかかれるのだ。一瞬男性とは思えないほどに美しいのもいれば、見ただけで男性でしかありえないようなごつい身体つき、化粧の下にうっすらと髭をそった後の青いあごが残っていたりして、仮装大会の帰りかと思えるような輩もいる。

つい先日、診療所の待合室で順番待ちしていると、隣に座る女性っぽい物腰の巨漢の男性がしきりと、腕のむだ毛を毛抜きで抜いていた。日本では地下鉄や電車のなかで化粧をする女子高生やOLの姿を煙たがる人が多いが、こちらで公衆の面前で化粧直しや身だしなみをするのは、決まってこの「レイレイ」たちだ。しかし彼らのサービス芸はプロ並で、女性よりもずっと女性らしく、そして丁寧で上品と評判なので、接客業や保母さんなどの世話係として重宝される。

それにしても、である。
ボラボラにはこの「レイレイ」の数が異常に多いように思うのは気のせいであろうか。実際に統計をとった訳ではないが、20人に1人は「レイレイ」だと言っても過言でない。しかもフランスや日本でおかまといえば、大抵成人した大人が多いし、若くても17、8歳からといったところだが、ここボラボラの場合、7〜8歳の小さな子供からすでにその素養を持ち合わせているのには、ちょっと驚かされる。幼い身体をくねらせて、女性っぽい仕草で笑ったり、話しかけられたりすると、どうしても素直に可愛いとは思えないし、正直なところ、背中に冷たいものまで走ってしまう。

なぜこんなにも「レイレイ」が多いのか?
色々な理由が挙げられるが、特に珍しいのが、ポリネシアの独特な文化として、「レイレイ」を創り出す習慣がある。例えば、子沢山の家族に女の子が少なかったりすると、どうしても掃除や炊事などの家事をやるのに女手が必要になってくる。そこで、男の子を女の子として、育て始めるらしい。何もそこまでしなくても、男性が家事の手伝いをするのに、何の支障もないと思うのだが、マッチョな男性が多く、家事はやはり女性の仕事という観念が根強い。しかし私個人としては、人為的に性を変えてしまう行為にある種の驚きと人間のエゴイズムをおぼえ、どうしても不快感を抱いてしまうのだ が、こちらでは当たり前のことのように定着している。

さて、つい先日、クラブメッドのホテルを会場に毎年恒例の「ミス・ヴァヒネ・タネ コンテスト」が行われた。ヴァヒネとはタヒチ語で女、タネとは男のこと。その名の通り、「レイレイ」のミス?コンテストである。今年の候補者は8人で、ポリネシアの様々な島から選ばれた「レイレイ」たちが参加する。それぞれ伝統衣装から、水着、そしてイブニングドレスに着替えては、ステージ上で、腕や腰をくねらせて、女性以上に女性っぽく披露して回る。豊胸手術を施して、豊かな胸を自慢げに見せつけるものもいれば、胸はなくても色気で勝負、と様々だ。このコンテスト、単なるお遊び感覚のものかと思ったら、優勝者はフランスで開催されるミス?世界大会に出場できるという結香_本気な催しだった。公平な審査を行うためにジュリストと呼ばれる本物の法律家が審査員長を務めていたのにも納得がいく。そんな訳で、今年めでたく選ばれた優勝者は33歳、タハア島からの候補者。ミス?コンテストにしては、歳はちょっといってるけれど、女性の私から見てもくやしいくらいにセクシー度も色気も抜群だ。果たして、男性の目にはどう映っているのか。コンテストの間中、これが一番気になった。

写真キャプション
1)2007年ミス・ヴァヒネ・タネ・コンテストの会場
2)今年優勝したレイレイ


[text: ROMI / 2007年10月15日]
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36 病気になれないボラボラ島
ボラボラ島の生活で、一番気がかりで厄介なことは何と言っても病気である。この島には、一般の診療所、歯科医はあっても専門医、病院がない。だから、いざ病気になって、診療所でも原因がわからなかったり、レントゲン撮影が必要だったり、婦人科系でちょっとした問題がないか調べてもらったりするだけでも、他の島まで出かけなければならない。

ボラボラ島の場合、2つの選択肢がある。まず一番近くのライアテア島の病院が優先される。この島まで船だと1時間半、飛行機だとたったの10分という近さである。但し不便なことに、島行きの飛行機や船は週3〜4便で、しかも1日1往復しかないことだ。乗り遅れると、この島に2日間も足止めを食うことになる。

病気の内容がもっと専門的で、特別な機械や検査が必要だったりすると、首都タヒチ島になる。こちらは飛行機で1時間弱、毎日数便出ているので便利である。

その他、妊婦さんが産気づいたり、怪我や事故などの緊急患者の場合は、ヘリコプターでライアテア島まで運ばれる。たまに頭上でヘリコプターの轟音が聞こえると、ああ、緊急患者だな、とすぐにわかる。

気になるのは、島間の往復にかかる交通費だが、社会保険に入っていれば、全額無料になるから、さすがは福祉国家フランスの恩恵も地球を半周したここポリネシアまでしっかり届いている。

とはいえ、日本にいれば、その日のうちに検診から治療まで済ませてしまえることが、この島だと数日がかりになってしまうので、不便なことこの上ない。さらに特別なことがない限り、付き添い人の交通費は出ないので、たった一人知らない島の病院に行かなければならないのは、とても心細く、現地でまた病院のたらい回しをされたら、土地勘のない人や重病人にとって本当に辛い。

話によると、ポリネシアの法律で、人口が1万人以上にならないとその島に病院を設置できないのだそう。ボラボラの人口は現在、およそ8000人。1万人まであと僅かだが、ハイシーズン時の観光客の数も含めて換算すれば、1万人を越えるという指摘もある。市長や住民達の働きかけもあって、数年前に、念願の総合医療センター(小さい規模の病院)の建設がボラボラ島で始まった。ところが、ようやく建物が完成した段階で、その土地の所有者同士の争いが勃発。未だ解決に至らず、誰もいないセンターの真新しい白い建物だけがぽつんと残されたまま、現在に至っている。土地問題というのは、この島にとっても深刻な問題のひとつである。50年前にはたったひとつしかなかったホテルが今や20以上のホテルやペンションができ、それに加えて真珠屋さんなどのブティックやレストランが次々と建設された。近いうちに、大きなカジノまでできるという堰_だ。建設ラッシュに伴い、本来無料だった土地が次から次に高値がついて売れていくのだから、ローカル住民も驚喜したに違いない。しかし現実は、土地ひとつにつき、所有者はたいてい一人でなく家族単位で、10人から数潤_人であったりするのが、子沢山の国ポリネシアの現状である。そして、家族全員の了解が得られないと、土地を正式に売ることができない。だから、医療センターのように、建設が終わり、実際に利用する段階になってから、クレームをつけたり、トラブルが発生することも少なくない。これは書類の問題であったり、家族の枠組みをどこまで広げるか、という血縁関係の問題であったりと複雑化してくるので、次回にでも話題として取り上げたいと思う。

とにかく、この島で生活する上で大切なことは、健康であること、怪我や事故を起こさないこと。観光でボラボラ島を訪れる人もぜひ健康管理はしっかりと!



写真1
手前がライアテア島の町並み、左手に見えるのがヴァニラの産地で有名な姉妹島タハア。

[text: ROMI / 2007年10月1日]
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